きっと何者にもなれない

はい,タイトルの通りです。おれはきっと何者にもなれません。

ピンドラでもありましたね、「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」ってやつ。

お察しの通りタイトルはそこからの引用です。

最近意外とこういう話題が多いんですよ,ネオデジタルネイティヴ世代が社会に出始めたからですかね。

まず前提として「何者かになる」とはどういうことか,おれは「(歴史に名を残せるような)アイデンティティの確立した人間になる」ってことだと認識しています。端的に言えば "何かを成して名を残せるか"ってことですね,なのでその体で話を進めていきます。

  

前文でも少し触れましたが,なんでネオデジタルネイティヴ世代が"何者か"を話題にするのかについて,そもそもネオデジタルネイティヴ世代って'96年以降に生まれた人たちのことを指すんですよ。('86年以降だという言説もあるのですがここでは'96年以降の世代ということにします)

で,'96年以降の世代って最初に持った携帯電話端末がスマホだったりする人が多そうじゃないですか。そのまま中高生でSNSなんかに手を出しちゃったりして。

そうなったらもう世界は生き地獄ですよ。

Twitterなんか特に顕著ですけど,インターネットを見てると同年代の"何者か"が嫌でも目に入るようになるんです。デジタルネイティヴ以前(~'76)の世代が町内なんかの狭いコミュニティ内,それこそ井戸の中で踏ん反り返っていられたのに対し,ネオデジタルネイティヴ世代の生きるインターネットは大海で,でけえ魚がうじゃうじゃ泳いでるのに自分はオタマジャクシのまま。海水に適応したはいいけどこんな広大な海では生きていけそうもありません。日々自己肯定感の低下と無力感に苛まれながら暮らしています。おれは一刻も早くTwitterがサービス終了してほしい。

閑話休題,インターネットのおかげで情報を得やすくなった世の中ですが,前述の通り触れれば触れるほど無力感は増します。少なくともおれはそう。

適当に生きてきた(これに関してはおれが全面的に悪い)からインターネットの集合知の一片も役に立てない。得意分野があったとしても,自分より詳しい専門的な人間がいるからわざわざ自分が口出すほどでもねえなって傍観者になりがちなんですよね。自己をなくすというかメタ的な視点で俯瞰するというか。

学生のうちはまだいいんですよ,なんだかんだ未来があるし,同年代の"何者か"は一握りの天才だけだーとかまあなんだかんだ少し上の世代だしーとか自分に言い聞かせられるので。でもそういった学生時代を送り続けると,就職が近づくにつれ「あれ?おれ結局このまま何者にもなれなくね?」と思い始めるわけですね。完全に今のおれです。就職決まったらその会社で骨を埋めろみたいな,転職にはまだまだネガティブなイメージが根付いてると思います。ここのところ転職率もほぼ横並びらしいですし。そうなると"何者か"になれる機会なんてそうそうないと思うんですよね。

20代なら年齢的に言えば若いしまだまだでしょ~なんて突っ込まれそうですが,仮に秀でたことがあってもそれで食っていける保証もないし,そもそも別に生活をすべて注ぎ込んでまでしてやりたいこともないんです。"何者か"という存在になりたいだけ。もっと言えば,手っ取り早く名声が欲しいだけ。まるで承認欲求モンスターですね。余談ですがそういう人間はまず才能を探そうと色々始めるらしいですよ,心当たりありますか?おれはあります。

とどのつまりインターネットという大海にはおれと同じような有象無象のオタマジャクシが"何者か"の何倍も存在するんです。だからここ数年になってネオデジタルネイティヴ世代が「何者かになりたい」と焦り始めたと解釈してます。

そこで,何者かになった側の人間が,何者かになんてならなくていいんだよ~なんてご高説を宣ってるみたいです。ちょっと調べたんですがその手の記事ばかり出て辟易しました。まあ"何者か"になることに固執して,見栄や虚勢を張って文字通り"自分ではない何者か"に取り憑かれるのは本末転倒だと思うので一理はあるんですが,絶対おまえらが言うことじゃないだろって。

そんな"何者か"になりたい一方で,おれは何者にもなりたくないとも思います。本当に何いってんだこいつって感じですが,出る杭は打たれるとか言うじゃないですか。このインターネット時代に匿名の悪意にさらされる危険を冒したくないし,なんだかんだいってそういう悪意を振りかざせる側(実際に振りかざすかは別として)のほうが居心地がいいんですよ。孤独に己自身の才能や有象無象の匿名の悪意と闘うよりも,長いインターネットの集合知に巻かれてメタ視点の万能感に浸る方が圧倒的に容易に快楽を得られるんです。ついでにいうとオタマジャクシからコバンザメかスイミーにランクアップできます,やったな。

ともかく,"何者か"になるということはそれだけで想像もできないほどのエネルギーが必要になるし,なれたとしてもそこからが大変なのは目に見えてます。おれにはそれをやり遂げる自信がない。それだけのことですね。

 

まとめるとおれは楽して生きたい承認欲求モンスターってことになりました。

そら何者にもなれんわ。